校内で実力テストや模擬試験を行うと、あまりできなかったため不安な気持ちになってか、先生のところにやって来る生徒が必ず何人かいるものです。「先生、さっきの試験全然できひんかったわ。もうあかんわ。」と訴えかけます。このような声を聞くと多くの先生方は、まあそう悲観的になるな、次に向けて頑張れ!と言います。でもまともな激励は実際には役に立たないことが多いのです。生徒への激励や忠告が彼らを動かす力になるためには、その生徒について一定の理解の幅と深さが不可欠です。A君への激励がB君やC君のと全く同じならその先生の各生徒との関係が反映されておらず、生徒の次の行動への起爆力にはなかなかなりえません。先生は僕を見ていってくれている、とその生徒自身が感じない限り、先生の言う言葉は形式的なものになり、会話がいわば儀式化してしまっているのです。
河合隼雄先生は教育とは子供に寄り添うことだと言っていますが、生徒が口にする言葉に隠れている気持ちの水脈まで視界を届かせ、そこからものをいう姿勢こそが河合先生の言葉に通じるもののような気がします。どんなきつい言葉を発しようと、先生側に、この子にはどの言葉が一番効くかを瞬時に判断する姿勢がある限り不思議なくらい生徒は素直になります。よく考えれば、私はこんな場面に遭遇する(「創造する」なら最高だが)ために教師になったような気がします。
始めの話に戻りましょう。私は慰めの言葉を待っている生徒にはこう言います。うん、ダメやと。その予想外の言葉を聞いた生徒はギクッとしてこう言う。なんと冷たい言葉!先生慰めてくれへんの!?ここからが勝負です。慰めて現実は変わるか。これから言うことをよく聞いているんやで。つまりダメやと言われたのはお前じゃないんやで。言われたのは今のお前や。今のお前が変わればチャンスはめぐってくるということや。そこで変わるためにはどうしたらいいか。まず、今の現実の自分をつかまないといけないだろう。鏡に映った自分を見つめていても何も見えてこないだろう。そこで、私はレポート用紙を持って来させこう指示します。今から昨日一日をどう過ごしたかを時系列にして紙に書いてごらん。制限時間は15分!と、敢えて少しプレッシャーをかけます。このような作業に慣れていない生徒は必死に思い出そうと天を仰いだり、目をつぶったりしながら記憶を手繰っています。意外と苦戦しています。何とか書き終えた一覧表を二人で見ます。「何やら無駄が多いぞ」「お風呂の時間はこちらに持ってきた方が眠気覚ましになっていいんじゃないか」
など気が付いたことをジョークを交えながら話していくと、彼の下がり気味だったモチベーションもいつの間にか回復していることがよくあります。今の子供たちを本当に動かそうと思ったら話はより具体的に、できるなら例を挙げて述べることが大切で、抽象的で原則的な話などはそれ自体素晴らしい言葉であっても、いや素晴らしいがゆえに彼らの心を通過してしまい頭には残らないのです。でも、時間をより有効に使うなんて大人でも難しいことですよね。一度親子一緒に振り替える作業をやってみてはいかがですか。思わぬ発見があるかも。