Q・東大生の父兄の年収が全国大学生の親の平均額をかなり上回っているという記事を読んだり、 一定以上の収入が親になければ子供を塾に通わすこともできない現状を目の当たりにしたりすると、 親の収入が子供の教育の機会に大きな影響を及ぼしていると感じますが。

A ・ 都市群の裕福な家庭の子が中高一貫校を経て東大京大あるいは医学部に入る傾向に警笛を鳴らしたのが今から20数年前の中曽根内閣で発足した教育臨調でした。 親の所得が子供の教育の機会を決めてしまっては不平等でゆがんだ社会を生み出すとの論陣を張り、 当時かなり大きな社会的反響を呼びました。
しかし、結果的には問題点を浮かび上がらせただけで、特にこれといった具体的な方策は打てませんでした。日本の教育制度はまるで人間の体のように複雑な有機体で、 どこかにメスを入れると他の臓器に予想外の影響や副作用を起こしかねないのです。 この 「教育と平等」 という問題は日本人の気質国民性と結びついた本当に根深い問題だということです。社会の階層化という現象は、数年前の小泉首相の改革により一般化してしまいました。 これは弱肉強食の世界で、 勝ち組負け組といった光景が展開されていきました。
教育の世界も決してその例外ではありませんでした。
この数年で目立つ各府県の改革を簡単にまとめます。

・東京都で始まったかつての名門高校復活
公立でも高い学力層の生徒をある一定の指定校に集める。 入試も学校独自に作成実施。

・ 大阪府内の校区を従来の中小校区から思い切って人口が百万を越すよ うな大学区に組み替え。

・京都府の 洛北高校のように私立中高一貫校の公立版を創る。

これらは、 いずれにしても平等より自由への動きです。 その動きは競争の激化へとつながります。その臨教審の中心的なメンバーであった西尾幹二氏の日本の教育文化に対する視点はまさしく的を得たものですので引用させていただきます。
「欧米のように他人と違う存在であろうとする、 個人の面の強い競争は横に広がって価値の多様化をもたらすが、日本のように他人と同じ存在であろうとする競争は、同一路線に一斉に縦に並んで、価値の一元化をもたらす。 序列化した同一線上でのこの競争は、 学校間の格差をますます大きくする特徴を持っている。」